都立高校からイギリスへ

都立高校からイギリスへ

普通の日本人の私が、UCLのファウンデーションコースを経てUKの大学に行くことにしました。

一年が終わって[総集編]

一年が終わって[総集編]

生活編と勉強編について書いたUPCの振り返りですが、今回全てについてお気持ちをまとめて終わりにしたいと思います。20歳になり、人生の1/4くらいを終えて(1/2~1/5という説もあるが)、 残りの人生で何かしらの答えを見つけられるといいなと思います。答えが見つからないまま人は死んでいくのか?

 

▶︎総集編

理想の留学?

InstagramTwitterを見ていると、「部屋に籠っていたら病むから出来るだけ外に出よう」「異文化交流を楽しもう」などなどたくさんの「留学はこうあるべきだ」という姿に出逢う。それを見るたびに「外に出なきゃ」「飲みにいかなきゃ」「人と会わなきゃ」とストレスが溜まっていった。でも、途中から、できないこととしたいこと、できるようになりたいことを分けるように気をつけるようにして、どうにかそれを乗り越えた。というのも、確かに、少し前までは、留学といえば「とても頭の良くて」「明るい性格の人が」「アメリカに」行く物だったかもしれないけど、今は(私が思うところでは)留学のやり方も、留学する人も、留学を受け入れる側も多様になっていて、それぞれが満足することをできたら、それでいいのではないかなあと思った(思わざるを得なかった)から。私は人付き合い・飲みに行く( 特に教授や先輩がいない物)のがあまり得意ではなく、どちらかといえば1人で旅行したり、散歩したり、家で勉強するのもかなり好きで、学校の成績だけは絶対に落としたくない。だから、学校の課題や勉強は満足して仕上げられるようにしてみたら、(当たり前だが)そこそこ楽になった。自分と、お金を出してくれている母親と奨学金の方に「どうしてこの行動を取ったのか」ときちんと説明できて、もしくは結果に満足することができれば、それでいいのではないかなあと思う。学校の成績に関しては、ほぼ全てA+だったから、私は誇らしく思う。自分ができる留学の形に固執して頑固になりすぎるのもよくないけれど、柔軟性と「学ぶ余地」を残しつつ、私は来年からも「他所はよそ、うちはうち」精神で勉強したり、友達を作ったりしていきたいなあ。

 

▶︎これから考えたいこと

1 文化的多様性とは何か?

様々な宗教がある・国ごとの慣習がある(例えば、家の中で日本人は靴を脱ぐとか)のは理解できます。しかし、例えば「教室内の多様性」「意見の多様性」をもたらすのは宗教的・慣習的な違いではなく、個人の性格の違いや政治的考え方(ideology)によるものが大きいように思います。では、文化的多様性とは何で、National Cultureというものは存在するのでしょうか。それを考えるようになったのは、Nationalismについてそこそこ体型的に理論を学んだ上に、リサーチエッセイで扱ったのでかなりしっかり学んだことと、寮生活の難しさが「イギリス文化」に起因するものなのか、私個人の気難しさに起因するものなのか、フラットメイトの悪しき習慣に起因するものなのか(おそらく全部)わからなかったためです。どこかにも書きましたが、私は半年で住んでいた寮を出て、ロンドン市内にアパートを借りて(コロナ下でとても安くなっていたし) 暮らしています。その背景には、

  • 複数回にわたるフラットでの過度なパーティー
  • 寮側の杜撰な関係者の管理
  • 私自身の忍耐の限界

があったわけですが、それでは「フラットでのパーティー」はイギリス文化でしょうか。常に汚いキッチンは?そうだったとして、ではパーティーの参加者が廊下を破壊し始めたり、警察を呼ばれるようなことになったら?キッチンの汚れをそれぞれが掃除しないために据えた臭いを発し始めたら?どこまでを「異文化交流」と受け入れて、もしくは自身の寛容さを磨くために馴染む方法を見つけるための鍛錬の場と捉えて、どこからは自衛的行動に入るか(逃げる・諦める)は非常に判断が難しく、また「異文化」と「個々の性格」の差はいつも流動的で主観的です。それを判断する人も主体的存在ですから、その理解は主観的にならざるを得ません。その背景には年齢・社会的バックグラウンド・経済的バックグラウンド・文化的差異や常識などの異なる要素(Defining factors?) があるはずだからです。一方で、全てを「鍛錬の場」として捉えて自衛を諦めて、結果として留学を完遂できなければ(私にとっては、大学を良い成績で卒業できなければ)本末転倒に思います。

留学をするということは、海外で「学びたいことを学ぶ」という学問的な面以外に、「異文化に寛容に・もしくは融和する方法を見つけ出す人材を育む」という面を持っており、特に私は奨学金をいただいている以上、自分を異文化に寛容な人材に育てていく必要があります。どこまではその学びの一環としてみなし、どこからは逃げていいのか。考え続けないといけない問題だと感じました。

(ちなみに今のところ私は、友人の話を聞いた限り「フラットでのパーティー」はイギリスの若者の主なコミュニケーションツール、汚いキッチンも若者だと仕方がない、それ以外は個人の性格の問題もしくは受け手側である私の気難しさででイギリスを責めることはできない、と思っています。だから引っ越しました。)

2. 日本人であるということはどういうことなのか?

私は今までずっと日本に暮らしてきて、今はイギリスにいますが、その後どこで働くかのビジョンはあまり立っていない状態にあります。親が日本にいるので、定期的に日本に帰るように努力すると思いますが、腸が捩れるようなホームシックに苦しむことはありませんでした。大学にいる限りは、私はイギリスに「学生ビザ」で滞在しているので、Internationalと呼ばれる留学生であることは変わらず、from Japanな学生です。しかし、実際にはもともとアニメや漫画よく見るわけでもなく、日本の流行ソングは瑛人さんの「香水」で止まっている状態ですし、今後も更新されることはないでしょう。加えて、現地の学生の行動パターンなどに溶け込もうと努力する中で、「日本らしさ」という曖昧なものはどんどんと消えていくのではないかと不安な気持ちになります。1で述べたNational Identityにも関わりますが、何が「私が日本人だから(持っている常識が異なっていて)難しく感じる」ことで、何が「私個人/私の性格のために難しい」ことで、また何を変えていかないといけず、何はそのまま自分の手元に持っていても良い素質なのかも難しい点に思います。

今のところは、日本の外交問題や国際政治との関わりまた教育などについて、学問的な視点から興味があり、その興味を忘れないことが一番大事なのかな、とは思いますが、果たしてどうなるのでしょうか。

 

【今日の写真】

高所恐怖症のために決して登ることのできないロンドンアイ。

 

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